「自立」という言葉を聞いたとき、あなたはどんな姿を思い浮かべるでしょうか。
誰にも頼らず、一人で何でもこなす。強く、孤独に、自分の足だけで立つ。
そのイメージは、多くの人が抱く「自立の理想像」です。
しかし私は、長い時間をかけて気づきました。
その考え方が、多くの人の可能性を静かに、しかし確実に、狭めてしまっているということに。
私は生まれつき障害があり、18年間を施設で過ごしました。
選ぶ自由も、頼れる人も、ほとんどない環境で育った私だからこそ、「自立」という言葉を慎重に、しかし真剣に使い続けています。
このコラムでは、私が実感をもって確信している「もう一つの自立」について、お話しします。
「自立」という言葉が持つ、息苦しさの正体。
福祉の現場で長年働く中で、「自立したい」という言葉を数え切れないほど聞いてきました。
同時に、「自立しなければいけないのに、できない自分がつらい」という声も、同じくらい聞いてきました。
この苦しさの根っこには、「自立=一人で立つこと」という思い込みがあると、私は感じています。
誰かに頼ることは弱さだ。助けを求めることは恥ずかしい。頼らずに生きることが、強い人間の証だ。
そんな価値観が、日本社会の中にはまだ根強く残っています。
しかしこの考え方に縛られると、人は孤立します。
孤立は不安を生み、不安は人の可能性を奪います。
私は今、デザイン・マーケティング・IT事業と共に、障害のある方々の就労支援・生活支援・相談支援を行うC-POWERグループの代表として仕事をしていますが、「自立できていない」と自分を責める方に会うたびに、伝えたい言葉があります。
頼れる先が増えることこそが、「自立の本質」だと心から真剣に考えています。
選ぶことができなかった人生――施設で過ごした18年間。
私は1979年、岐阜県多治見市に生まれました。
生まれながらに「先天性多発性関節拘縮症」という障害があり、当時の「措置制度」のもと、家族と一緒に暮らすことは許されず、18年間を施設で過ごすことになりました。
施設での生活は、多くのことが決められていました。
食事の量も内容も。
トイレの時間も回数も。
お風呂に入れる曜日も。
私の一日は、私以外の誰かによって整えられていました。
夜、静かな部屋の天井を見つめながら、幼い私はよく考えていました。
「どうして、自分のことなのに、自分で決められないのだろう」と。
それは反抗心ではありませんでした。ただ、純粋な疑問でした。
自分の人生の主役は自分であるはずなのに、脇役にすらなれない感覚。
その感覚が、幼い頃から私の胸の中に、ずっと小さな問いとして残り続けていました。
「頼れる先がない」ということは、「選べない」ということと同義です。
選択肢がない場所では、人の可能性は静かに押しつぶされていきます。
「頼れる先がない」という状態が、人から奪うもの。
障害者支援の文脈では、「自立」という言葉がよく使われます。
就労自立、生活自立、経済的自立――。それ自体は大切な目標です。
しかし、頼れる先がない状態で「自立しなさい」と言われることは、足かせをつけたまま「走りなさい」と言われるのに似ています。
人は、サポートがあるからこそ挑戦できます。
戻れる場所があるからこそ、前に踏み出せます。
信頼できる人がいるからこそ、失敗を恐れずに動けます。
頼れる先が少ない人は、失敗が怖くなります。失敗したとき、立て直す手がかりがないからです。
そして失敗が怖いから、挑戦もできなくなります。
この負の連鎖を断ち切るのが、「頼れる先を増やす」という発想です。
頼れる先が多いということは、それだけ選択肢が多いということ。
選択肢が多いということは、それだけ自由が多いということ。
そして自由が増えることが、人生の余白をつくります。
起業、失敗、そして気づき――「頼れる先」の本当の意味。
18歳で施設を出た私は、デザインの専門学校へ進み、コンピュータグラフィックスを学びました。2年間で人生で初めて「自分で選び、夢中になれた時間」を経験した私は、卒業後、就職活動に臨みました。
しかし、30社以上に応募して、すべて不採用でした。
障害が原因だったのかどうか、今でも正確にはわかりません。
ただ、面接の場で感じた空気は、私に何かを物語っていました。
そのとき、私は決めました。
障害を言い訳にしない。採用してもらえないなら、自分でやる。
その一心で22歳のとき起業しました。パソコン1台、月の売上5千円からのスタートでした。
事業は少しずつ育ち、年商1,600万円に達した頃、私は体調を崩しました。わずか1か月仕事を休んだだけで、それまでの仕事の8割を失いました。
そのとき、痛感しました。「頼れる先が少なすぎた」と。
仕事の依頼先も、体調を崩したときに助けてくれる仲間も、相談できる人間関係も、どれも薄かった。一本足で立っていたから、少し揺れただけで倒れてしまったのです。
しかし、そのつらい時期を支えてくれたのも、「人」でした。
相談に乗ってくれた仲間。アドバイスをくれた先輩経営者。励ましの言葉をくれた友人。
もし頼れる先がまったくなかったなら、私はあの時点で事業を畳み、人生を諦めていたでしょう。
その後、2010年に母が倒れました。それまで私の生活を支えてくれていた母が、突然、頼れない存在になった。
毎晩布団の中で「明日への不安」という怪物が、施設で過ごした18年間よりもはるかに大きな恐怖として迫ってきました。
なぜあれほど怖かったのか。今ならはっきりわかります。
頼れる先が、家族という一点に集中しすぎていたからです。
「頼れる先を増やし続けること」が、私の考える自立の定義。
2011年、東日本大震災が起きました。
テレビの画面越しに、すべてを失いながらも「それでも生きていく」と語る女性の言葉が、私の心を強く揺さぶりました。
私の大切なものは何一つ流されていない。
それなのに私は、まだ来てもいない「明日」への不安に、心を飲み込まれていた。
そこから長い自問自答を経て、私がたどり着いた答えがこれでした。
「自立とは、頼れる先を増やし続けること。」
この定義は、私自身が生きてきた人生の結論です。
頼れる先が1か所しかない人は、その1か所が揺らいだとき、すべてが崩れます。
頼れる先が10か所ある人は、そのうちの1か所が揺らいでも、9か所が支えてくれます。
頼れる先が増えるほど、人生は安定します。安定するから、挑戦できます。
挑戦できるから、自分らしさを取り戻していける。
「頼る」という行為は、弱さの証明ではありません。
頼れる先を持ち続けることこそが、生きる力の証明です。
C-POWERグループが目指していること
この考え方が、C-POWERグループのすべての活動の土台になっています。
私たちは岐阜県多治見市を拠点に、障害者の就労支援(就労継続支援A型・B型、就労移行支援、就労選択支援、就労定着支援)、生活支援(グループホーム、生活介護、放課後等デイサービス)、相談支援、そして企業支援事業を展開しています。
それぞれの事業は、単に「支援を提供する場所」ではありません。
一人ひとりの「頼れる先」を増やすための場所です。
利用者の方が、ここに来ることで「頼れる先」が一つ増える。
スタッフが、ここで働くことで「頼れる先」が増え、その人自身の人生も豊かになっていく。
私たちのミッションは「頼れる先を増やし続けて『自立』する」です。
この言葉は、私が歩んできた人生から生まれた言葉であり、次の世代にも必ず必要とされる価値観だと、確信しています。
福祉の仕事は、「頼れる先」をつくる仕事
福祉の仕事を「大変な仕事」「給与が低い仕事」と語る人がいます。確かに、課題がないとは言いません。
しかし、私はこう伝えたいのです。
福祉の仕事は、人の「頼れる先」をつくる仕事です。
誰かにとっての安心の場所を、選択肢を、可能性を、創り続ける仕事です。
これほど直接的に「誰かの人生の自由」に関わる仕事は、ほかにそう多くありません。
そして、誰かの「頼れる先」をつくることは、自分の「頼れる先」も増やすことです。
福祉の仕事を通じて得る人間関係、経験、感謝の言葉、自分自身の成長。
それらはすべて、あなた自身の人生を豊かにしていきます。
読んでくださったあなたへ
もし今、「一人で頑張らなくちゃ」と、肩に力が入っている方がいたら、伝えたい言葉があります。
頼れる先が増えると、人生はすこし軽くなります。もっと自由になります。
これは、私の実感です。施設で18年間を過ごし、起業し、何度も失敗し、それでも今こうして多くの仲間と歩んでいる私が、全身で感じてきた実感です。
頼れる先は、ある日突然できるものではありません。
日々の出会いや、小さな行動、他者を想う言葉の積み重ねが、未来の安心につながっていきます。
このコラムが、読んでくださった誰かの心に、少しでも灯りを灯すことを願いながら、これからも福祉の魅力と、私が生きてきた軌跡を、ここに書き続けていきます。
