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6.「かずちゃん、すごい上手だねぇ」

かずちゃん、すごい上手だねぇ

〜施設の片隅で描いた一匹のウサギが、私の人生を変えた〜

前回は、引きこもっていた私に恩師がかけてくれた言葉の話をしました。

「和明は、本当は何がやりたいんだ?」

あの一言が、止まっていた私の時間を再び動かしてくれました。
では、私にとっての「やりたいこと」とは、何だったのか。

今回は、その問いの答えが生まれた場所——施設での日々と、一枚の落書き。
母のたった一言。
その話をしたいと思います。

施設での「自由時間」に、できることはほとんどなかった

施設での暮らしは、一日のほとんどが誰かによって整えられていました。

起きる時間、食事の時間、リハビリのスケジュール。
何をするか、いつするか、誰と過ごすか。
それらは私が決めるものではなく、施設の都合や、支援者のスケジュールに沿って動いていました。

私が自分で時間を使えるのは、リハビリが終わった後のわずかな時間だけでした。

しかし、その時間に「何ができるか」といえば、ほとんど何もありませんでした。

将棋か、本を読むか。
施設の中で子どもが一人でできることなど、そのくらいしかなかった。

テレビを見ることもできましたが、それも「見たいものを自分で選ぶ」というより、時間制限されたテレビであり、流れているものをただ眺めているような感覚でした。

そのうち私は、手の届くところにあったノートの隅に、何となく落書きをするようになりました。

やりたくてやっていたわけではなく、他に何もすることがなかっただけです。
それが、すべての始まりとは、そのときの私には知る由もありませんでした。

一冊の落書き帖に、目が留まった

ある日、一冊の落書き帖が目に入りました。

誰かが使いかけて、そのまま置かれていたものだったと思います。
特別に立派なものではなく、子どもが使うような、ごく普通の帖でした。

その表紙に、ウサギの絵が描かれていました。

線はシンプルで、上手とも下手とも言えないような絵でした。
ただ、なぜかその絵から目が離せませんでした。ぽってりとした丸い身体と、少し傾いた耳。
今でも、なんとなく覚えています。

「自分でも描けるかな」と思いました。

誰かに見せるためではありませんでした。うまく描けるかどうかも分かりませんでした。
ただ、その形を自分のノートに写し取ってみたくなった。

鉛筆を持って、ゆっくりと線を引き始めました。
丸い頭、長い耳、小さな目。うまくはなかったけれど、なんとなくウサギに見えなくもない形が、ノートの上に現れました。

それだけのことでした。でも、その「それだけのこと」が、何かを変えていきます。

母の一言が、何かを変えた

面会は、週に1回。
面会に来た母が、そのノートを目にしました。

母との面会は、私にとって施設の中でほとんど唯一の「家族と過ごせる時間」でした。会いたくても、毎日会えるわけではない。次はいつ来てくれるか、分からない。面会が終わって母が帰っていく後ろ姿を見送るたびに、胸に何かが残りました。

そんな母が、私のノートのウサギを見て、こう言ってくれたのです。

「かずちゃん、すごい上手だねぇ~」

その瞬間のことを、私は今でも鮮明に覚えています。

うれしかった。ただの「うれしい」では足りないくらい、うれしかった。
何と表現したらいいのか、言葉が見つからないくらいでした。胸の中に、温かくて柔らかいものが広がっていく感覚。あの感覚を、うまく説明できる言葉を、私はいまだに持っていません。

施設の中では、「できないことをできるようにさせる」ための時間が中心でした。
11回の手術を受け、それでも歩けなかった私にとって、「頑張ったね」という言葉はあっても、「すごいね」という言葉はそれほど多くはなかった。

だから、母のあの言葉は、ただの褒め言葉ではなかったのです。

「自分にも、何かできることがある」という、小さくても確かな感覚でした。

「できない」ことを突きつけられ続けていた私が、初めて「できる」と感じた瞬間だったのかもしれません。

夢中になれることが、見つかった

それからです。絵を描くことが楽しくなったのは。

いろんな絵を真似して描くようになりました。本の挿絵、漫画のキャラクター、目に入ったものを手当たり次第にノートの上に写し取りました。誰かに命じられたわけでも、リハビリの一環でもありません。ただ、描きたくて描いていました。

施設の中では、有り余るほどの時間がありました。しかし、何かに「夢中になれる」時間は、それまでほとんどなかった。リハビリは義務であり、食事は義務であり、起床も就寝も、すべてがスケジュールの中にあった。

しかし、ノートに向かっているあの時間だけは、違いました。時計を気にしませんでした。誰かに促されることもなく、ただ、鉛筆を動かし続けていました。

今振り返ると、あの時間が、「やってみたい」という感情を初めて自分の中に感じた瞬間だったのだと思います。

その感覚が、後に私をデザインの世界へと引っ張っていくことになります。一枚のウサギの絵が、私の人生の方向を変えたのです。

「頼れる先」は、言葉一つでも生まれる

あの落書き帖がなければ、母があの言葉をかけてくれなければ、私はデザインの世界へは進まなかったかもしれません。

C-POWERグループの理念は「頼れる先を増やし続けて、自立する」です。「頼れる先」と聞くと、制度や施設、支援者といった大きなものを想像する方もいるかもしれません。

しかし私は、一冊の落書き帖も、母のたった一言も、「頼れる先」だったのだと思っています。

誰かの言葉が、その人の可能性を照らすことがある。
何気なく手にした一冊の本が、その人の人生の入口になることがある。
「頼れる先」は、特別な場所や制度の中だけにあるのではありません。

それは、日常の中に、ひそやかに存在しています。

施設の外の世界が怖くて動けなかった私が、「自分にも何かできる」と初めて感じ始めたのは、華やかな出来事でも、大きな転機でもありませんでした。
ノートの隅に描いた一匹のウサギと、母の一言。それだけで、私の世界の見え方は変わったのです。

読んでくださったあなたへ

今、「自分には何もない」と感じている方へ。

それは、本当のことではないかもしれません。
ただ、まだ誰かに「すごいね」と言ってもらえていないだけかもしれない。
あるいは、まだ自分でも気づいていないだけかもしれない。

私が施設の片隅で描いたウサギは、誰かに見せようとして描いたものではありませんでした。

それでも、一人の人間の目に触れた瞬間に、小さな光になりました。

人の可能性は、他者の言葉によって照らされたとき、初めて自分でも見えるようになることがあります。

だから、伝えたいことが一つだけあります。

あなたの周りに、まだ見えていない可能性を持っている人がいるとしたら、ぜひ言葉をかけてあげてください。

「すごいね」「面白いね」「もっと見たい」——その一言が、誰かの人生を変えることがあります。

福祉の仕事は、その「一言」を届ける仕事でもあると、私は思っています。

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